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FFPプレワークショップに参加しました

東京大学FFPプレワークショップに参加しました。
平たく言えば、「大学教員としての教育力を磨くための」大学院生向けのセミナーです。
http://www.todaifd.com/

私は自分の人生において、「教育」には強く関わっていきたい、と考えているため、迷うことなく参加しました。(研究者になったとして、研究所に勤めることはあまり希望しない、ということです。贅沢行ってられる時代でもないですが)

会場はかなりの盛況でした。ワークショップの定員が100名、授業に参加できるのが50名の中、会場にいたのは120人を超えていて、授業参加希望者も既に定員をオーバーしているそうです。(そのため、セレクションをかけるそうです。)

ざっくりした内容は以下の通り

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1.現代に求められている大学と大学教員(吉見俊哉)

・現在の教員に対するFDが未だ改善されていない中、なぜ大学院生向けにFDの授業をやるのか→シニアの授業を帰ることはもう難しい?学内で反対意見も多かったが、総長の理解が得られた。
・全国に700以上ある大学の中で、東大出身者の教員の割合は非常に多い。大学が変化する中で、研究者としての能力だけでなく教育者としての能力が問われるようになってきている。
・大学は三度目の誕生を迎えようとしている→詳しくは拙著『大学とは何か』を参照
・大学教員の3つの仕事→研究・教育・管理運営 
・「トップユニバーシティの育成元責任」「博士課程大学院生のキャリアサポート」「東大時代の教育力向上」

2.変わる教員採用の現状(中原淳)

・現在の授業の大半は「聞く」「聞く」「聞く」「帰る」の導管モデル。このようの一斉講義の内容を半年後覚えている人はわずか2.2%→対話型の授業の必要性
・教員採用時、研究計画書以外に教育についての評価もなされることが増えている。(シラバス・授業案の提出、面接の後模擬講義など。)早稲田大学などレベルの高い大学でも始まっている。
・多くの大学では教育に対する新人教育がない。
・教育について講義を受けた事のない教員が行う授業の多くは、(専門家に対して話をする)「学会プレゼン症候群」、(何を伝えるかわからない)「詰め込みプレゼン症候群」、(とにかく話まくる)「知識ぶちまけ症候群」
・お隣の人と自分の研究内容について紹介
・海外では既に「高等教育教授資格」などの資格の設立準備が進んでいる
・×「研究か、教育か」→○「研究も、教育も」

3.研究と教育の両立(小林直人)
教育は本当に雑務か?教育の内容が研究に生きてくることがあるということを、小林先生が自身の経験をもとに示した後、グループディスカッション。

4.変わる授業、MOOCs、アクティブラーニング
・アクティブラーニングスタジオ→対話型・学生参加型の授業 (特に上位層の)成績が向上する事は実験的な検証がなされている。
・オンライン無料学習教材(MOOC)の導入(オンライン講義により入学生を誘導、単位を与える動き) スタンフォード大学で実施した所、発展途上国の学生の多くがスタンフォード大学の学生を上回る成績をたたき出した→優秀な学生の発掘
・コンテントの増大→教員ポスト削減
・ただし、オンラインで教えられるのは基礎的な講義に限られる→授業で応用課題を取り扱う「反転授業」
スタンフォード大学の学生は倍速で講義を見ても理解度が落ちない→時間削減、成績も上昇
・大学の講義スタイル、はたまた大学のスタイルが大きく変化する可能性を示唆している
・レベルの低い大学でも、反転授業によるサポートを充実させることで、MITの教材を理解できる事が実験で確認されている。

5.プレFDについて
授業についてのオリエンテーション
FDは西高東低、東大は腰が重い、個人の優秀さで持っているが、組織としては・・・。

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日本の大学における教育を取り巻く現状については、私としては目新しい話は特になく。まぁ、そうだよね、と言った印象。 東大の授業のレベルの低さやマスプロ授業の忘れやすさを一番理解しているのは、ひょっとすると当の学生自身ですし。

MOOCによって大学の講義が大きく変化する可能性については、中々示唆に富んでいて面白かった。(ところで日本での動きが紹介されなかったのは、ないってことなんでしょうか。勿論放送大学はあるけれども) 笠原先生が演習でやろうとしていたことにかなり近いが、笠原先生最大の失敗は全部一人でやろうとした事にあるんだろうなぁ。作業量の膨大さなどを考えると、組織ぐるみでやらないと破綻する。

アクティブラーニングというのは、初等中等教育における「学びの共同体」とほぼ同じと考えていいのだろう。(ただし、学びの共同体が幾分の思想的背景を含むのに対し、アクティブラーニングにはその匂いはしなかった。まぁ、今回は出さなかっただけなのかもしれないが) 「学びの共同体」理論にはいくつかの批判があるが、高等教育レベルでは無効化される批判もある。再度勉強し直しておくと面白いかもしれない。

一応、中学高校の教職課程を履修した身としては、今後の授業を受けるにあたって、中等教育と高等教育における授業の違いについて意義から技法的な部分まで含めて考えていければよいな、と思っています。(受けられれば、ですけどね。)

話はFDとは全く関係ないですが、教育について考えている時に以下のような記事を思い出しました。(あえて表明する機会がなさそうなのでここでぼそっと呟く感じです。)

http://www.zokei.ac.jp/news/2013/001-1.html

この内容は映画の話ですけれども、教育について『経験』を『予備校講師』にあてはめれば、ほとんど同じロジックが成り立ちそうだなぁ、と考えています。つまり、系統だった講義は大事という事ですね。